遠くて近い、この道は

彼氏が医学部再受験するって言い出した

それまでの私たち①

 私と彼とはもともと同郷で、彼は大学から、そして私は就職してから東京にそれぞれやって来た。私たちは同い年だけど、彼は浪人したうえに大学でも留年していたので、私が社会人として東京にやってきたときもまだ学生だった。

 当時の彼は、弟と吉祥寺で二人暮らしをしていて、私は同じ中央線沿いで一人暮らしをしつつ吉祥寺の彼の家へ遊びにいったりしていた。

 彼の住んでいる二階建てのアパートは、一階に一部屋、二階にも一部屋しかなく、上の住人のカップルがケンカしたときなんかは、罵り合う声や泣き声が丸聞こえするほど、壁は薄く、建物全体が揺れたりした。そして冬は外よりもなぜか寒かった。

 このアパートに私は何度も遊びに行ったし 、電話でケンカなんかしたときは、夜中でも走って駅まで行き、終電にのって駆けつけた。東京に出てきたばかりの私にとって、吉祥寺はとても楽しい街だった。映画館も何軒かあって、特にバウスシアターは私たちのお気に入りだった。ライブハウスやバーもたくさんあったし、遊んだり飲み歩いたりしては、そのまま彼の家に泊まり出勤したりしていた。 

  当時の彼は、とてもわがままだった。私が訪ねて行くと、アパートのドアを開けた瞬間からなぜか機嫌が悪いときもあり、めちゃくちゃな言い合いのケンカもよくしたし、怒りと悔しさがごちゃまぜになったようなよくわからない感情で、泣きながら家に一人帰るときもあった。

 何をしている時だったか、今ではもう覚えていないが、一度あまりにも腹が立って、アパートの近くで彼の腕をグーで殴ったことがある。その時は彼もさすがに驚いた様子だったが、静かな口調で、二度とやるなと言われた。

  もちろんそんなケンカばかりするのは私にも原因はあったと思う。当時の私は、社会人として仕事をしながら一人暮らしをすることに精一杯で、心に余裕がなかった。彼に対しては、「わたしがこんなに社会人としてやってるのに、この人はまだ学生で、しかも入りたくて浪人までした大学すらまともに行かず、遊び呆けて留年をして、おまけにわがままでなんて自己中なんだ!」と思っていた。ことあるごとにすごくいらいらしたり、泣きたい気持ちになったりした。上京したばかりの私には、東京の友達なんかもちろんいなかった。だから彼に依存していた面もあると思うし、そのせいで、余計に彼にイライラしていたんだろう。今思い返すと、私は彼の生き方にアレコレと口出ししまくっていた。

 それでも、彼との当時の生活は今思い出しても楽しかった。映画を見たり、映画関係の人たちと知り合う事もできた。彼も自分勝手で自由に生きていたが、彼を通じて知り合った人たちはさらに自由気ままに生きているように私には思えた。でも、決して彼らはだらしなかったりはしなかった。自分たちの責任で自分たちのやりたいこと、やるべきことをやって生きているだけだったのだろう。

 私たちも、バウスシアターで観た、ある作品に感化されてしまい、中野ブロードウェイでカメラを購入し、自主映画を撮りはじめた。そのおかげで私にも知り合いができたし、刺激的な生活をしている、という充実感があった。

 でも私は仕事という土台があったし、まともに就職する気もなさそうな彼に対しては、この先どうやって生活をして何をやっていくのだろうと思っていたし、私たち二人がどうなるのだろうという不安は常にあった。